20代 ④ 若気の至りで無謀な脱出
ごきげんよう☆彡
東京は日が差して気分がとっても良いです:-)
さて新卒で入社した年の1989年の12月の大納会で日経平均は史上最高値の38,915円を付けたかと思うと、社内が女性社員の晴れ着で溢れる1月4日、株価は前場始まりから急落した。辛うじて38000円台で大発会の日を終わるが、翌日以降もほぼ毎日スルスルと下がり始めた。
4月には28002円まで暴落したが、7月には33000円台まで戻り、営業が大口客に「もう大丈夫ですよ~、どんどん買っていきましょうよ~」としきりに電話していたが、本当の恐怖はここからだった。翌月8月にイラクのクエート侵攻が始まり、もう市場は悪いニュースばかりにしか反応しなくなり、日本は「失われた10年」に突入する(20年、25年、30年説あり)。因みにバブル後最安値は2009年3月のリーマンショック直後での7000円割れを付ける。
クエート侵攻があった年の夏休み同僚とスペインに行った。日本人が多く泊まる民宿のようなところで、観光もせず1日中バルコニーで日光浴をしている若い日本人複数に出会う。宿主に何かのついでに聞いてみたら、長期滞在で、学生でもなく日本社会独特の短い夏休みで来ているわけではないと知る😲
ベルリンの壁も崩壊したのもこの頃。セカイもワタシもザワザワしてたな。
職場に戻ると相変わらず株価は下がり続け、顧客の怒号、叱責でいやーな雰囲気になって行く中で、退職を決める。スペインに行ったときになんとなく人生って自分で決めていいんだなと考えというが潜在意識に植えこまれたのと、あと一つ気になるのが企業財務的なもの。。。。あまた上場する企業の株価に毎日接する中、業績がいいってどういうことなんだろう。何をもって好業績とい言うんだろうという健全な好奇心☆☆☆
日本の大企業なので事務の煩雑化を避けるため、3月にも9月にしか退職できないので、呆れる両親を尻目になにはともあれ早速(笑)9月に辞めた。
無謀だな、若いって。
長文ごめんなさい🙏
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